昭和30年頃の大滝集落住居地図




  『わが大滝の記録』誌には昭和10年と昭和51年の住居地図が掲載されていますが、間が40年も空いており、その間の空白期間を埋めるため、昭和30年頃の大滝集落の住居地図を作製してみました。
昭和10年の地図昭和51年の地図、そしてこの地図を見比べると居住戸数と人口の減少の傾向がお判りいただけるかと思います(参考:昭和35年国税調査)

戸数の割に住居者数が多く感じられるかもしれませんが当時は二世代同居が大多数であり一家族6,7名同居が普通でした。・・・狭い家にギューギュー押し込めるように大人数が住んでいました。
 また、大滝集落からの離村家族が出ると、空いた家が自分の住居よりも広いとか、建物がしっかりしている場合は空き家を賃借したり買い取ってそこに転居するというようなことが頻繁に行われていました。…少しでも広い家に住みたかったのでしょう?
私の記憶では最高五か所の家を転々と移り住んだ方もおり、子供の頃は言葉は悪いですが 『ヤドカリみたいだなぁ』 と思ったものです。

尚、この地図は私(HP管理人)の記憶だけで作成しましたので苗字しか判らない方もおり…某(なにがし)としてあります。
また、記憶違いのところもあるかと思いますので、お気づきの方はご一報いただけると助かります。


なお、今まで 「いら沢橋(小)」と言っていた橋 の正式名称は「入いら沢橋」 と判明(平成24年)しました。