「 なでしこ文庫 」の思い出


 この記事は昭和32年に学習研究社(通称:学研、現:(株)学研ホールディングス)発行の「五年の学習」12月号に掲載されたものです。
当時五年生だった後藤健太郎さん達(当時10歳)が主に取材を受けました。
 後藤健太郎さんが50年以上前の雑誌を大切に保存していることを知り、同級生の須田信男君(当時9歳)を通して1ページだけコピーを送って戴きました。

 昭和30年頃の大滝にはまだ国道13号バイパスは無く、摺上川支流の小川に沿って山形県米沢に至る沢づたいの砂利道の万世大路だけで、記事には飯坂町まで3里(12km)以上と書いてありますが、3里(12km)とは言っても上り坂ばかりの山道であり、長距離のトラックがたまに通ることはあるが、凸凹の荒れた悪路であり、飯坂から大滝までは大人の足でも5〜6時間はかかっていました。

 ガスや水道設備はもちろん無く、薪(まき)や売り物にならないクズ炭を燃料にし、水は沢水や岩から沁み出す湧水(岩清水:いわしみず)を、竹樋(とい)で各家庭まで送っていました。    電気が大滝に施設されたのは以外に早く昭和15年11月でしたが、電気代節約のため電燈を灯すのは夜の僅か1〜2時間だけで、多くの時間帯はランプ生活でした。
このようなインフラ環境の大滝では物資はいつも不足状態で娯楽雑誌などは親が読む「家の光」が有るくらいで、子供には縁の遠い存在でした。

 この「なでしこ文庫」の記事がきっかけとなり、東京など都会の小学校から漫画や小説などの古本が沢山送られて来るようになり、みんな夢中で読んだものでした。
学研の記事の中には「エジソン」や「野口英世」の本などが書いてありますが、一番人気はやはり漫画だった気がします。
 特に「鉄腕アトム」に出てくる未来の交通システムの高速道路や、小松崎茂の挿絵で見た航空科学や宇宙想像図等にはおさな心をワクワクさせ心躍らせたものです、おそらく我々世代の大滝の子供達が世界の科学や、都会の文化に触れるきっかけとなりました。
漢字なども、学校の勉強より漫画の本で覚えた方が多かったような気がします。

赤胴鈴の助、まぼろし探偵、矢車剣之助、鉄人28号、イガグリ君、黒帯君、白星君、さいころコロ助、ビリーパック、天馬天平、ジャジャ馬君、朱房の小天狗、コンドルキング、少年ジェット、月光仮面、西遊記、三日月天狗、猿飛佐助、笛吹童子、ロボット三等兵、砂漠の魔王、チャンピオン太、ジャングル大帝、鉄腕アトム…等々、ほんとーに面白かったなぁ !!

 漫画の面白さから、そのうちに、古本では飽き足らなくなり、みんな親に泣きついて漫画の月刊誌を買って貰うように成りました。・・・「少年」「漫画王」「冒険王」「少年画報」「少年クラブ」「ぼくら」「なかよし」「りぼん」等など、男の子も女の子も、お互い同じ本がダブらないようにして買って貰い、読み終わるとお互いに交換して貸しっこして読んだのは懐かしい想い出です。 毎月1回新聞屋のおじさんが家まで本を届けてくれる日が待ち遠しかったものです。  
ただ、貧乏だった私の家では「家の光」の購読をやめて、そのお金で私に「少年画報」を毎月購読させてくれました。 今思うと、相当親に負担を掛けたのかなぁと辛い気持にもなります。

  (記: 2010.4.3 紺野)

 先日の「大滝分校の集い」に信ちゃんが健太郎さんから全ページを借りてコピーし、みんな
に見せてくれたのを持ち帰りましたので、あらためて編集しなおし全ページをホームページに
掲載することができました。(2010.7.29)

 少々前置きが長くなってしまいましたが、昭和22〜25年頃生まれの方には凄く懐かし
い記事かと思います。 では、ご覧ください。

以下の記事は株式会社学研ホールディングス様の許諾を戴いて掲載しております。
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    健太郎さん、信男君ありがとうございました。




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