天皇陛下が御休息された建物を、行在所(あんざいしょ)と呼びます。
また天皇の御行幸一行が途中で御駕籠を止めて御休憩される事を鳳駕駐蹕(ほうがちゅうひつ)と言います。
鳳駕駐蹕之蹟は明治41年9月12日に二ツ小屋隧道福島側入口、大滝、円部の3か所三か所に設置されているが、何故明治天皇の御巡幸(明治14年10月3日)から30年近く(27年)経過した時点で設置されたのかが謎であった。 今回、鹿摩貞男氏の調査によりその謎が解明されたので追記する。 この3か所の 鳳駕駐蹕之蹟は大正天皇(当時は皇太子)の全国ご行啓(明治41年9月)の一環として福島県をご行啓されるのに合わせて信夫郡(現福島市)中野村が急遽建設したものであることが判明した、ちなみに大笹生村の明治天皇ご休憩所(菅野六郎兵衛宅跡)には設置されていない。 今までは当時の政府主導で設置されたものと思い、全国各地に 鳳駕駐蹕之蹟が有るものと思っていたが、今回考えを訂正するに至った。 鹿摩貞男様の調査に敬意と謝意を表します。 (2021年1月) 詳しくは下記をご参照ください。 https://ootaki.xsrv.jp/futatsukoyazuidowaka.html これらの全国の行在所と鳳駕駐蹕之蹟を、日中戦争(支那事変)直前で、日本軍国主義に突き進もうとしている昭和10年に、時の日本政府が『天皇を神格化し、人心を天皇忠誠に向けさせる国策の一環』として国の史蹟に指定しました。 < 昭和10年11月 文部省令400号 >
この8年後に大きな御影石の記念碑(御小休所の碑)が建立されました。
渡辺家全体と鳳駕駐蹕之蹟(ほうがちゅうひつのせき)の碑を含む土地全体に昭和10年指定の史蹟境界を示す碑が四方に建てられています。 < 碑の建立は昭和18年11月>
しかし、日中戦争(支那事変)が第二次世界大戦へと拡大し敗戦した昭和20年末頃に、今度は日本の民主化を押し進めるアメリカ占領軍の圧力を受け、日本政府は全国の行在所と鳳駕駐蹕之蹟を国の史蹟指定から外し 『いかように扱っても良い』 とのお達しを出しています。
僅か10年で国の史蹟指定から外されてしまったことになり、第二次世界大戦前後の世情を色濃く反映したものと言う事が出来ます。
これを受け、全国各地では県・市町村がこれらの史蹟を県指定文化財や市町村指定の文化財として守っているところが多い中、残念ながら大滝の渡辺家(行在所)と鳳駕駐蹕之蹟は福島の県・市町村どこからも文化財指定されることなく、渡辺家が代々独自で守り続けて現在に至っています。
私個人の考えとしては、これを機に、県や市に大滝の『明治天皇行在所(渡辺家)と記念碑』を文化財指定して保存管理して戴くよう、運動すべきと思います。--- これが大滝を後世まで残す術かもしれません。 (以上 文責:紺野文英)
・大滝(渡辺正義氏旧宅)の鳳駕駐蹕之蹟と史蹟指定記念碑
明治41年9月に建立された鳳駕駐蹕之蹟 (写真・説明共 鹿摩貞男様提供)
昭和18年11月に建立された記念碑 (写真・説明共 鹿摩貞男様提供)
これは明治天皇の御休憩の間に掲示していたものです。
( 2009.6.28 伊藤弘治様撮影 ) 中屋(渡辺家)現当主 渡辺正義氏と玉座 (ご休息時に明治天皇がお掛けになった椅子) 現在はボロボロに劣化していますが当時は台座も有ったそうです。 (H24.11.18 鹿摩貞男様撮影) 明治天皇ご休息の間 ご休息の間の床柱、および3面の半柱には菊の紋章が打たれていたそうですが、いつの頃か盗難にあって無くなったそうです。 天皇が御駕籠を駐めて御休憩された処には、必ず其の蹟を示す鳳駕駐蹕之蹟(ほうがちゅうひつのせき)の碑が建てられました。
渡辺家にも鳳駕駐蹕之蹟の碑が建てられています、また二ツ小屋トンネル出口と大滝から福島に下る途中の円部にも同じ碑が在ります。
これは、明治14年10月に明治天皇東北御巡幸に合わせ、時の山形県令 三島通庸が国に強く働きかけて、明治天皇御巡幸一行に万世大路開通の通り初めをして戴くことが実現し、その時に途中で御休憩された場所を記念して27年後の明治41年に碑が建てられました。
つまり御行幸のおり明治天皇御一行(お供は、参議大隈重信以下325名の大行列だった記録が残っています)は米沢から栗子隧道を越えて、二ツ小屋隧道出口と、大滝、円部で途中休憩をして福島市に入ったことになります。
明治天皇は北海道から九州まで全国を御巡幸されており、明治時代の交通手段はまだ人馬の足であり、一日何度も御休憩しながらの御巡幸であり、
大正時代以降は交通手段の近代化が進み、人馬が大行列を組んでの御行幸は無くなり、大正・昭和の天皇は主に列車(いわゆる お召列車)での御行幸になりお供の人数も100名程度に減りました。
平成の今は、皇族専用のジェット飛行機と公用車での御行幸になり、お供も 数10名程度になっています。
ただし、御行幸先の警備の人数を入れると、明治時代より遥かに多い人出が掛っているのが現実です。
渡辺正義氏旧宅前 (万世大路大滝宿場 旅籠:中屋跡) 移転前は、現道路面×印箇所の約2m上方の明治期万世大路(上方の×印箇所、移転先とほぼ同じ高さ)に建立された。 旧設置位置(上方の×印箇所)は、明治天皇が御小休された福島県土木出張所跡 隧道の拡幅(掘り下げ)に伴い前後の道路も掘り下げられたものである。
|