大滝の想い出   2008-05-18 投稿




昭和30年代の大滝の懐かしい写真です。

写真提供 : 高野英治さん
スキャナー : 伊藤弘治さん

大滝青年団のクリスマスです。
私よりも一回り以上先輩の皆さんなのでお名前は判りません。(一部の人の名前は判りますが、全員は??)





大滝青年団がトラックで二ツ小屋にキャンプに行く途中です。


キャンプで楽しくフォークダンス



「大森青年団の人達」との説明が有ります。
当時は他の地区の青年団と大滝青年団が交流していたのですね。



学校山から撮った冬の旧大滝分校全景です。
手前は先生の宿舎になっていました。



最前列は大滝分校の学芸会を観覧している長老の皆さん(お茶付きの特別席)
左は伊藤さんの祖父(高野宮治さん)です、私の祖父(紺野一枩)も写っています。



大滝分校の運動会の挨拶です。懐かしいですね。
運動場の左下に新生中学校分校 (後の教員宿舎) が見えています。
『それでは只今から運動会を開催します、一同 礼 !!』といったような写真でしょうか?


えーーっと、この女性は、三坂??さんと高野弘子さんかなぁ
・・・よく思い出せません。。


(わら)で手作りの障害物競走


綱引き・・・顔が見えている女性は木村??さん??



下駄履き、当時は歯の高い下駄を履いていたのですね。
高野家の前です。菖蒲が軒下に挿してあるので5月節句の頃だと思われます。
左から高野スセさん、高野孝治さん、渡辺智さん、高野英治さん、高野元治さん と思います。


この写真はずっと新しく、昭和40年初頃の写真だと思います。
高野家の前で左から伊藤(高野)弘治さん、弘治さんのお母さん(スセさん)、渡辺智さんと高野勝治さん(18才位?)


高野家の前
懐かしい顔が一杯です。(左から智さん、日出男君、元治さん、勝美さん、勝治さんです)
後ろでは女の子(高野弘子さん??)がスゴ網(炭俵作り)です。



伊藤さんがバイクで里帰りすると近所の子供たちが集まってきたそうです。
 当時の大滝では、バイクはまだ珍しいものでした。 この写真にも幼少の高野勝治さん、高野元治さん、渡辺智さん、
山岸巌さん、木村健吉さん、渡辺勝美さん、渡辺和雄さん、渡辺直さん、後藤健太郎さん、私の弟(文朝)、
渡辺
由美子さんなどの姿もあります。



高野兄弟(勝治さん、元治さん(中央左から))と渡辺日出男さん(左)、渡辺智さん(右)です。
後ろに屋根が見えるのは、渡辺角エ門さん宅です。





新沢より二ツ小屋を望む


西川山からの眺望



冬の大滝…手前は大滝橋です。
左は柾木新吉さん宅、右は須田和市さん宅、歩いているのは高野孝治さんだそうです。



    屋根葺き <10年に一度位の頻度で屋根の茅(かや)を取り替えます。> … (高野家)
屋根葺き(ふき)が終わると、家の持ち主が綺麗になった屋根の上から餅をまいて祝いました。
大滝集落中の大人も子供も皆集まって、競って餅を拾ったものです。・・・これも懐かしい思い出です。
 茅(かや)とは、枯れたススキの事で、秋が深まると野山に出て一家総出で根元から刈り採り各家庭で家の周り
に蓄えておきます。 茅(かや)は屋根材以外に炭俵の材料や家屋の雪よけ断熱材としても貴重なものでした。



炭だし(真っ赤な炎となった炭を釜から出しています)…高野英治さんの勇姿です。


湿灰(しばい)かけ ・・・ (真っ赤な炭に水を含ませた灰をかけて消します)


炭焼きの帰り、雪の林道で一休み


背中にはみんな炭を2〜3表 背負って(しょって)います。
1表が約30kgなので60〜90kgを背負って毎日数時間かけて山を降りたことになります。(驚きです)



ナメコの菌入れ・・・じゃなくてナメコの小さいのがなっています。
高野英治さんと高野勝治さん



大滝の山々




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