こぶがはらさま探索



昨年、山口屋散人様達と一緒に「まぼろしの滝」の探索をして下さったメンバーのひとり
猫旅様が11月8日に『こぶがはらさま』を単独探索して、写真を投稿して下さいました。
猫旅様のホームページはこちらから見ることが出来ます。

こぶがはら様について少し調べてみました。(2011.5.21調べ)
 「こぶがはら」は古峰ヶ原と書き、ご本山は栃木県鹿沼市草久古峯ヶ原(こぶがはら)に鎮座しており、古峯ヶ原と
は地名(本山神社の所在地)です。
 御社(やしろ)名は、古峯神社(ふるみねじんじゃ)が正しいようです。
 御祭神は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)であり、火防の神として祭られ、その後は家内安全・当病平癒・身体健全
など総ての開運・除災・心願成就の神として関東東北地方に広く講を設け崇(あがめ)られるようになったそうです。
 大滝集落の「こぶがはら様」もご神体の刻碑からその講の分祀に間違いないようです。

 また、なんと福島市の信夫山北側斜面の一般道路沿いにも火伏の神として古峯(こぶがはら)神社が祀られている
ことが判りました、 ご神体はやはり日本武尊(ヤマトタケルノミコト)です。


では、懐かしい『こぶがはらさま』の投稿写真をご覧下さい。

 胡桃橋を過ぎた油井武さんの家が有った付近【大滝の記録(大滝開郷100年の歩みの中の昭和10年
の大滝集落状況図
のO(元佐藤重右エ門氏宅の左】から山に入り探索されたようです。
佐藤重右エ門氏が大滝を離郷後に油井氏が入居し私が幼少のころは油井武さん一家が住んでいました)
私達が昔お参りに使っていたルートとほぼ同じと思われます。

かすかに判る昔の参拝道の跡


昔の参拝道の跡の頂上付近の松の根元にご本尊様が見えています。


頂上付近ははっきりと昔の参道跡が残っています。


松の根元に横たわる『こぶがはらさま』のご本尊様
平成2年に写した写真と若干位置が変わっています、おそらく風雪で下のほうへズリ落ちたものと思われます。


ご本尊の石の後方にも大小の石があり「山神」と刻まれています。


ご本尊様の表の刻みは「古峯神社」です、 
その左に「長?藤?」・・・建立した人の名前でしょうか?? 「長尾藤?」かなぁー?
「わが大滝の記録」の昭和10年頃の地図に胡桃橋の近くに「長尾藤松」さんの家が存在した記録が有り、更に「わが
大滝の記録」誌によると大滝開祖と目される方々の中に長尾藤蔵様の名が記してあり、長尾家がお祀りしたものに
間違いないかと思います。…私が物心が付いた頃には、既に大滝から引っ越されておられました。
平成元年に開催された離郷10周年記念大会にご子孫の「長尾藤三様」が参加されています。
・・・詳しいことをご存知の方はお知らせください。


ご本尊様の裏書
「明治四十三年 旧七月??日」と読めたそうですので、明治43年の旧暦7月に祀られたようです。


ご本尊様を守る松の大樹も健在です。
明治の昔から存在しており、何かしら神々(こうごう)しさを感じませんか??


こぶがはらさまの山頂には未だ、有線放送の鉄柱が立っています。


 その下付近の崖には、有線放送のスピーカーが落ち、錆びずに枯葉に埋れています。
この鉄柱とスピーカーは大滝集落全員が資金を出し合って昭和30年代に大滝橋の近くの須田和市さん宅に設置し
た集落でたった1台の電話を有効に使うためのものでした。
 昔、電話がかかってくると、電話設置場所の須田和市さん宅から 『・・・・さーん、電話だぞーい!!』と村中に聞こえ
るように放送していたのを思い出します。…放送が有った該当の家の人は駆け足で須田さん宅まで行っていたのも
懐かしい思い出です。


昔の参道跡





上り口付近には昔の生活のなごりのビンが転がっています。


胡桃橋付近のススキ


胡桃橋から撮影したそうです・・・二階堂盛吉さん宅が在った付近と思います。


抜けるように青い秋空とすっかりj紅葉した胡桃平地区
ほとんどの家が土に還った今でも風雪に耐え、渡辺正義さん宅と渡辺清治さん宅は未だ健在です。
離郷後に萱葺き屋根の上にトタンを被せた効果が大のようです。





渡辺正義さん宅の入り口がこじ開けられていたそうです。
大滝会が明治天皇御小休の関係資料を探した時に閉め忘れたのでしょうか??


明治天皇御小休の碑


山神神社参道


山神神社鳥居 … 腐って倒れそうだった鳥居の根元は大滝会で修繕したようです。


お不動様方面への道


西川橋と西川山の眺望・・・枯葉が晩秋の風に舞っています。
お不動様に行く道からの撮影だそうです。・・・ふるさとはいつも綺麗です。



猫旅様、ご投稿ありがとうございました。



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