明治30年 中野村実測絵図面

この資料は2年前(平成25年10月)に弟(渡辺文朝)が福島県歴史博物館で古文書を写真撮影してくれたものです。
資料整理や写真解析が遅れていましたが、ようやく公開にこぎつけました。【2015(平成27年).10.31】

図が大きいですが、絵図面の文字が判読しにくいので、あえて大きく掲載しました。


表紙
 
栗子・二ツ小屋地区 絵図面
 
                

葭沢・大滝・長老沢地区 絵図面

絵図面からは明治時代にすでに、赤岩道や大滝不動沢道、杉ノ平に通じる菱川林道の基となる細道が存在していたことが解かります。
 

杉ノ平〜堰場地区 絵図面
この頃、既に飯坂は町となっていたことも読み取れます。(飯坂の町政施行は明治22年4月1日)
 


上の実測絵図面を横並びに繋ぎ逢わせ、および他文献を調査し地名を解かり易く挿入してみました。
(一部解読不可)
<地名など間違いが有ればご教示頂ければ幸甚に存じます>

 



【ご参考】 明治30年 中野村地籍簿(抜粋)

図中に「 移住民拝借 」「19年3月」と記載あり、移住民拝借地届を基に地籍簿が作成されたようです。
大滝地区は総代人(近野次良太)の氏名しか記載がない。
外47名の氏名は「わが大滝の記録誌PDF版」 17ページの氏名と同じと想定されるが
残念ながら、47名の住所(所番地)が不明である。
…これが判明すれば明治期の大滝住居地図が作成できるのに残念!!

                     表紙
 
                  裏表紙

当時 二ツ小屋(九拾六番)にも移住者が居たことが解かります。
 

面白いことに、所々に電信柱處の記載が有ります。 最新技術が既に万世大路に導入されていた事が判ります。
当時勿論まだ大滝周辺に電灯は普及しておらず、福島⇔二ツ小屋・栗子大平等との通信用と思われます。
 



明治27年12月25日付、入植者連名による「官有地無代価御下渡願」
[わが大滝の記録」誌より抜粋転載





願 出 人 (51名)
明治30年11月迄に、このうち4名が大滝から退居したものと思われる。

 


【ご参考】 日本の電信の歴史