大滝集落に架かる橋



後世に記憶を残すための一環として、「大滝集落に架かる橋」を纏めてみました。

写真提供 : 渡邊 文朝 様 (H24年6月02日撮影)
写真提供 : 鹿摩 貞男 様 (H24年4月29日撮影)

一部、TUKA様・すっす@海様 ・柾木新吉様・伊藤弘治様が、過去に撮影された写真を使わせていただきました。


橋名は銘鈑の表記に合わせました。

葭澤橋 (よしざわばし)

大滝集落の福島側入口から1番目の橋です。

 
葭沢橋 福島側から望む
(鹿摩貞男様 H240429撮)

 
同左 (渡辺 文朝様 H240605撮)

 S53年3月に木製から鉄製に更新されたようです。
私的には、すごく無粋で嫌な感じのデザインに見えますが?
木製の頃はこのように入口を「いらっしぃませ」といった感じにした門構えは付いていませんでした。
昭和53年当時、既に開発が始まっていた江戸時代を模した観光地「大滝宿」の雰囲気に合わせたのでしょうか?


 
 葭澤橋 下流左岸福島側から望む
(鹿摩貞男様 H240429撮)


 
葭澤橋 銘鈑
葭澤の旧漢字表記は観光の為、意図的に書かれたようです。
(渡辺 文朝様 H240605撮)

 
昭和五十三年三月竣功(欄干更新) 
(渡辺 文朝様 H240605撮)
大滝集落では、最も新しい橋(欄干)になります。
 


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大滝橋

 
S30年代末〜40年代初頭の架け替え直後の大滝橋
(福島
側から米沢方向を望む)
大滝橋の麓の家は左から柾木家と木村家蔵、木村家母屋
(柾木 新吉様撮影)


大滝橋 (福島側から米沢方向を望む)
 (渡辺 文朝様 H240605撮)

もう家屋は全て無くなっています
 
大滝橋 米沢側を望む
(鹿摩貞男様 H240429撮)


 
大滝橋 福島側を望む
(鹿摩貞男様 H240429撮)

写真奥の右上がりの道は赤岩道の入口です。
 
大滝橋 銘鈑
(渡辺 文朝様 H240605撮)
 
右橋脚の銘鈑は剥げ落ちて行方不明
(渡辺 文朝様 H240605撮)

下記サイトを見ると2006年(平成18年)には「大瀧澤」の
銘板が有ったようである(マニアによる窃盗か?)
http://coral2596.fc2web.com/ootakisyuku_p1.htm

 
福島側から
(すっす@海様 H181102撮)


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いら沢橋

 
いら沢橋 米沢側を望む
(鹿摩貞男様 H240429撮)


 
いら沢橋 福島側を望む
(鹿摩貞男様 H240429撮)


 
福島側から
(すっす@海様 H181102撮)

 
 
米沢側から
(すっす@海様 H181102撮)

 
いら沢橋 銘鈑
(渡辺 文朝様 H240605撮)

「大滝橋」と欄干の形状と銘鈑の形状が同じなので
同時期に竣功されたものと思われます

「沢」の漢字表記が新漢字であることからも、当用漢字が
制定された昭和21年11月以降であることが明確に判ります。
 
こちらも剥げ落ちて行方不明
(渡辺 文朝様 H240605撮)


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入イラ澤橋

私達が幼少のころ「小さいいら沢橋」と呼んでいた二階堂家側(西側)の橋は、
銘鈑から【入イラ澤橋】が正式名称であることが今回判明しました。

また小さいながらも橋桁が有ることから、暗渠ではなく橋であることも判りました。

 
入イラ沢橋 米沢側を望む
(鹿摩貞男様 H240429撮)


 
暗渠に見える「入イラ澤橋」
(伊藤 弘治様 H220228撮)



入イラ澤橋 銘鈑
(渡辺 文朝様 H240605撮)


 
昭和九年八月竣功(架け替)
(渡辺 文朝様 H240605撮)



 反対側の銘鈑には平仮名で 「いりいらさわ」 とあります
(渡辺 文朝様 H240605撮)
 
同上 (渡辺 文朝様 H240605撮)


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胡桃橋 (くるみばし)

 
胡桃橋 福島側から望む
(鹿摩貞男様 H240429撮)



胡桃橋 米沢側を望む
(鹿摩貞男様 H240429撮)


 
平仮名銘鈑(西側橋脚) 「くるみはし」
(渡辺 文朝様 H240605撮)
 
東側橋脚の銘鈑 「胡桃橋」
(渡辺 文朝様 H240605撮)


 
反対の橋脚には「小川」と川名が有ります
(渡辺 文朝様 H240605撮)

 
昭和十一年七月竣功(架け替)
(渡辺 文朝様 H240605撮)

 
 (渡辺 文朝様 H240605撮)
 
福島側から
(すっす@海様 H181102撮)


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西川橋

残念ながらこの【西川橋】には昔から欄干が無く詳細が判りません。

欄干は私の生まれた頃(S24年)には既に無かったようで、一回り年代が上の伊藤弘治さんの記憶にも無いそうです。
おそらく第二次世界大戦時の金属回収令 (昭和17年5月発令)、通称「くろがね動員」で撤去され、そのままになってしまったものと思われます。


これは鹿摩貞男様が川面から撮影された西川橋の貴重な写真です。
「万世大路 運搬線路探索記-2」(鹿摩貞男様記H23年6月)より抜粋掲載
旧西川橋、西川下流側から望む。左米沢側、右福島側。
旧万世大路では珍しいメタル(鋼鉄製)橋。
…鹿摩様の説明文を引用
草木が繁茂してしまった現在では、なかなか
西川橋の全景は見れなくなりました。

 
 
西川橋 上流側から望む
(鹿摩貞男様 H240429撮)
 

西川橋を路面から見たところ・・・一見、橋には見えません
橋を渡り切ってすぐ米沢方面へ左折します。
(現在は途中でがけ崩れで埋まっており通り抜けできません)

突き当りのコンクリート擁壁は現国道13号西川橋の橋脚土台です。
すっす@海様からの借用画像を加工させていただきました。
すっす@海様のHPはこちらからご覧いただけます。
 
現国道13号バイパス西川橋から、眼下に旧西川橋を観る。
写真中央右寄りが旧西川橋になります。
逆Y字路の右は蛇体道入口になります。
写真提供 : TUKA様 2004年5月撮影
TUKA様のHP(街道Web)こちらからご覧ください。



詳細については鹿摩貞男様の
【大滝集落に架かる橋 参考資料をご覧ください